ピーコ(メラノーマ・悪性黒色腫)
最初にピーコさんが異変を感じたのは原稿を執筆している時でした。原稿用紙の横線位置が分からず、左目がかすみ、左目だけで見ると右目だけで見るよりも小さく見えていました。
それから半年後、1989年8月(当時44歳)に年1回の健康診断を受けるため、静岡県熱海市にある熱函病院を訪れました。
健康診断の結果はとくに異常はなかったのですが、院長の奥様が以前から目の不調を訴えていたピーコさんを心配して眼科医の受診を提案してくれました。
眼科での検査結果は左目の網膜剥離という診断。このままでは失明の可能性もあると告知されます。
おすぎさんも以前左耳の鼓膜が破れて聞こえない状態であったため、2つある物が1つ機能しなくなる恐怖を知っていました。
翌日、院長の紹介で小田原市の病院で診察を受けたピーコさん。造影剤を注射し造影写真を何枚か撮った結果の医師から告げられたのが「メラノーマ」でした。
ピーコさんは、メラノーマと聞いて「自分は癌なのだ」と知ったといいます。ピーコさんの場合、眼球の後ろ側の網膜を覆っている脈略系に発症していました。
目の中に発生するのは30万人に1人と言われるほど珍しいケースとされ、眼球のリンパ管に腫瘍が入り込めば、体中に転移する危険性があり、神経経に達した場合には死は免れません。
医師は「メラノーマが1㎝以下ならなんとなるが、ピーコさんのメラノーマは1.4㎝ある。目は全摘出しないと癌が神経経へ移転して死亡する確率が高い」と告げられました。
ピーコさんは左目を摘出する事を決意、1989年8月26日に手術が行われ、眼球を支える6か所の筋肉と脳と繋がる視神経を切断し、左眼球を取り出す手術で通常は、20分程度で終了するものです。
しかし、ピーコさんの場合では眼球に圧力をかけると癌細胞が散らばり、移転する可能性もあることから2時間にも及びました。
術後の検査では、癌が他の部位に転移していないことから、1989年9月には無事に退院しました。
義眼は傷口に合わせて作るため、傷口が治る度に何度も作り直し、これまでに35個の義眼を作られたそうです。
左目を失ってからは目の病気に苦しむ人やその家族が集まる講習会などに参加し、多くの人に希望を与えたいと語られている。